阪急阪神ホテルズによる「誤表示」発表の動機は、勇気だったのか臆病だったのか

そもそもの始まりは、この一件からだった。

2013年10月22日・阪急阪神ホテルズ発表の文書である。

メニュー表示と異なった食材を使用していたことに関するお詫びとお知らせ(PDF)

 

この発表をきっかけに、各社が堰を切ったように次々と発表を重ね、ホテル・レストランから、製造業、大型スーパー、ショッピングモールと、範囲も拡大していった。そして、徐々にその「責め」のトーンも弱く、柔らかになっていった。

 

マスコミが視聴者・読者の気分を読むのは商売の性質上当然のことだが、そろそろ飽きてきた、と察したのだろう。たしかに、「もうお腹いっぱい」という気分ではある。

 

さて、割りを食った「阪急阪神ホテルズ」だが、彼らはなぜ火中の栗を拾うような決断をしたのだろうか。自浄機能に基づく「勇気」がそうさせたのだろうか。そのような勇気を称える声は聞こえてはこないが。

 

だが、実は彼らが「最初」ではない。彼らの発表のきっかけは、次の発表だった。

メニュー表示と異なった食材を使用していたことに関するお詫びとお知らせ(PDF)

プリンスホテルが行なった、2013年6月17日の発表だ。この発表は、幸い、マスコミが見過ごした。阪急阪神ホテルズは、この発表を「現物」として、自社の「安全牌」を切ったつもりだったのだ。

 

両者の書式を見て欲しい。全く同じ形式になっている。会社が何かリスクを犯そうとするとき、まず、前例に従うということをする。まさにこれが事例である。彼らは、「いける」と踏んで、忠実に過去の成功事例に従ったのだった。違いは、「メニュー表示と異なった食材を提供した内容等の一覧」が、少々多すぎた。目立ってしまったのだ。後は想定外の炎上と、用意をしていなかった事後対策に追われる日々だった。

 

プリンスホテルの発表が、勇気ある発表だったかどうかは分からない。プリンスホテルは、自分たちの理念に基づいて、粛々と発表したのかも知れないし、恐る恐る発表したのかも知れない。いずれにしても、各社とも「あとでバレるよりは今の方がいい」と判断したに違いない。

 

一方、主役になってしまった阪急阪神ホテルズはどうだったのか。書式を見ても分かるように、間違いなくプリンスホテルの発表を見て、自社でも早速調査し、慎重を期して発表したはずだ。それこそ、恐る恐る、であったと思う。

 

結果として、ずいぶんひどい目には遭った。だが、人も企業も、死なない限り、潰れない限り、痛い経験は次の役に立つ。臆病者の勇気であっかもしれないが、行為は高く評価したい。

 

 

 

そろそろ「食品偽装」がバカバカしい騒ぎだと言っても良いと思わないか。

ディズニーランド食品偽装はなぜ批判されない?巧妙手法とマスコミタブー、ディズニー信仰 | ビジネスジャーナル

 

ディズニーランドが、食品だけでなく、いろいろと偽装していることは誰でも承知している。だが、仮に、どこかの局が採り上げて騒いだところで、一体誰が得をするというのか。

 

アレルギーなど、知らずに食べて健康上の問題が起きる、というようなことは「誤り」では済まない。幸い、被害らしい現象は(局が他の報告に熱心なせいかも知れないが)報告されていないようだ。

 

だが、せっかくの記念日や家族の楽しい食事に、「あれは上げ底でしたよ」と聞かされて誰が喜ぶ。手品の種をバラしたり、映画のオチを教えたり、犯人を先に言ってしまって、言った本人はいい気分かも知れないが、聞かされた方は迷惑じゃないのか。少なくとも、騒いでいる人、文句を言う人の多くは、利用したことがないから、バラしたところで興ざめの被害はない。だから言うだけなのだ。

 

サンタを信じていない子は、信じている子よりもクリスマスが少しつまらない。だから、信じている子の邪魔をする、そういうものだ。

 

さて、おかげで、今年のクリスマスは去年よりも食事のことで興ざめするし、お正月早々おせち料理もなんとなく例年と味が違うようになってしまうことだろう。そうなることを誰が望んでいたのだろう。たぶん、クリスマスも正月も嫌いな人だったのだろう。

 

教えていい事実・教えるべき事実と、黙っておいた方がいい事実はある。

ディズニーランドの選択は、自社にとっても客にとっても正しい選択だ。「偽装だ」「嘘だ」という者は、実は利用者ではないから、そう言いたくなるのだ。

朝日新聞サイトがタイトルで「釣り」をやっていないか?

布団が吹き飛び?電車遅れる 千葉のJR総武線快速:朝日新聞デジタル

年賀はがき「自爆営業」 局員、ノルマ1万枚さばけず:朝日新聞デジタル

非ブラック企業そろってます 厚労省認定、就職説明会:朝日新聞デジタル

 

さすがに「寸止め」という感じはするが、狙っているとしか見えない。

 

東スポダイスポが見出しで売るのは、宅配がないからという理由もある。そういう意味でも毎・朝・読や日経は、こんな見出しを付ける必要もない。届いた時点で読まれる前提だ。いや、個別の記事が読まれているかどうかは知るすべもないし、興味もないだろう。

 

テレビはどうか。視聴率は気になるだろうが、地デジはもうチャンネルは増えない。幸い、BSは面白い番組は有料で、無料の各局は再放送と通販しかやってない。ほぼ、数社で電波は独占できている。もちろん、ネット配信などして競合を増やす気は毛頭ない。

 

その点、ネットは厳しい。今まで「実力」をテストされていなかった、記事の面白さを「アクセス」という数字で採点されてしまう。ブロガーもメルマガ作家も「見出し」で勝負してる。

 

というような事情で、こうなったのではなかろうか。それでも、このタイトルは編集の仕業だろう。ちゃんと取材している。最初の記事など、本当の主役は運転手だったのに。その点に関しては、読売新聞の編集はまだマシだ。

 

架線に布団!パンタグラフ切り離しセーフ…JR : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

非常事態に気づいた運転手が、架線に引っ掛かった布団をパンタグラフの操作で回避し、事故を防いだ、というのがこの記事の主旨だ。ダジャレで引っ掛けようなどとは記者も考えなかっただろうに。

 

楽天は善人に厳罰与えるらしい

【楽天市場】楽天市場からのお知らせ

楽天市場は、自社のモールで二重価格表示をした出店に一カ月のサービス停止処分を下した。これが厳罰だったのかそれとも軽いのかは分からないが、当然の処置だと思う。できれば、悪質な出店は早々に退出いただいて、安心して購入できるモールにしてもらいたい。でないと、モールが荒れ、真面目に商売をしている店までが悪質とされてしまう。

 

楽天市場への出店は、聞くところによると結構コストがかかるらしい。もちろん、単独で集客することを考えると、集客力のあるモールで展開した方が販売に集中できるなどのメリットもある。であれば尚の事、モールを荒らしてもらってはいい迷惑だ。

 

とは言え、いったんは決着したのか、と思ったが、どうもそうではなさそうだ。

 

「楽天市場」が性善説に立っていた理由:日経ビジネスオンライン

楽天市場トップの高橋理人常務執行役員独占インタビュー」より引用

高橋氏: あくまでも性善説に立ってビジネスを展開するつもりだ。我々は他社のように無料で出店できるわけではない。導入費用もかかるし、売れなくても月額費用もかかる。出店に当たり、極めて高いハードルがいくつもある。性善説という根拠はまさにそこだ。無料で出店できるところには片手間でやる事業者もあるだろう。一瞬だけ売り上げて、逃げる事業者もいるだろう。無料のECモールは性善説には立てない。

--引用おわり--

 

要は、チェックが甘かったことは反省するが、それは「性善説」でビジネスを展開しているからだ、と。「性善説」ということは、出店者はすべて「善人」である、と考えているらしい。モールにとって第一の顧客は商品を購入する来店客ではなく、様々な費用を支払ってくれる出店者である。善人であれば管理コストは少なくて済むだろう。つまり、楽天市場もまた(想定外の)悪質な出店者によって迷惑している、とでも言いたげ感じがする。

 

それよりも、「性善説」をどう解釈しているのか分からないが、これには腑に落ちない点がある。彼らは自分たちが「善人」として解釈した出店者に罰を与えるというのか。性善説と言うのだから、この度の不祥事が起きた理由は出店者側の問題ではない、ということになる。少なくとも、モールはそう考えている、ということになる。性善説によれば、善人も時に悪事を行なうことがあるが、それは「状況」や「環境」がそうさせる、と見る。

 

普段は真面目な経理担当者が、ふと、自社の資金が無防備に管理されていることに気づく。今の給料ではローンの負担も重いし、子供の学費もこれからますますかかるし、たまには家族で旅行もしたい、と。悪事は、こういう時に起きたりする。事件が発覚したとき周りの者は「あの真面目な◯◯さんが」と。

 

つまり、楽天市場は、自らの口で「あの不祥事は我々が、善人である出店者に悪事をさせてしまったのです」と語っているわけだ。しかも、その善人たちにペナルティを課したのだ。ちょっと考えても矛盾している。こんなものは、モールの信頼性維持で手抜きをしたことに対する、ただの言い訳だ。

 

記事にあるように「無料」のサイトとの比較で語ってるのだが、明らかにYhoo!ショッピングの無料化を意識してのことだ。

「店舗数で楽天超え」 ヤフーEC無料化、2週間で5万5000件の出店申し込み - ITmedia ニュース

無料にすればいい加減な出店者が「食い逃げ」のような悪質な商売をするために集まる。自社のモールは高い分、真剣な出店者しか来ない、と。その高いコストは、本来、モールの信頼性管理のために、つまり、来店客を守るために使うべき金だ。また、善良な出店者が怪しまれないようにするためにモールの信頼性はを維持するために使うべき金でもある。自社の「儲け」を増やすために、来店客や善良な出店者に迷惑や損をかけてどうする、と言いたい。

 

性善説でビジネスを展開しようが、性悪説で展開しようが、それはモールの側の都合だ。それでモールが荒れるようなら、みな「どうせECなんていかがわしいものだ」と考え、より安いサービスに動いて行く。

JASRACの強欲、狡猾さ

私的複製補償金で著作権団体が提言(NHK・NEWS WEB)

 

このアイディアは、記事にもあるように日本音楽著作権協会(JASRAC)の考えたものだ。著作物のコピーが、デジタル化によってより簡単に正確に行われるから、パソコンやハードディスクにもその補償金を上乗せせよ、という考えだ。

 

そもそもPCの用途は様々で、ユーザーによっては作品の複製や加工や鑑賞とは全く関係のない使い方もある。要は「筋が悪い」提案だ。少なくともユーザーもメーカーも賛成できる要素はない。が、JASRACのずるさは、この案に「著者」が反対しにくい、としたところにある。

 

作品を創るのは、努力だけでは難しい。かと言って、才能があればできるかと言うと、それだけでも無理だ。才能も努力も必要な、限られた人にしかできない仕事だと思う。仕事としては楽ではないし、それなりの報酬も欲しい仕事だ。

 

作品を生み続けるために必要な費用として、苦労に見合う対価と、いつ降りてくるかわからないインスピレーションに対する保険としての対価も必要だ。著者が餓死しては元も子もないし、また、著者がバイトや副業で創作活動を妨げることもファンとしては避けたい。金は必要だ。JASRACは、その費用の回収を代行し、著者がこの煩わしい作業から手を離させ、創作活動に専念させることで、相応の手間賃を「掠め取る」わけだ。ビジネスとして、悪くはない。

 

しかし、著者の気持ちは複雑だと思う。わざわざ「創作」という苦しい稼ぎ方を選んだのは、ギャラが良いからだけではないはずだ。むしろ、自分の作品を楽しみにしてくれるファンがいる、という他に代えがたい喜びがあるからだ。少なくともそう信じたい。

 

著者は、ギャラ以上に、自分の作品を鑑賞し楽しみにしてくれるファンをきっと求めているはずだ。買うだけ買って見もしない人と、無料であっても鑑賞してくれる人と、最終的にどちらを選ぶのか、と迫るとき、本当はただでも鑑賞してくれる人を求めるはずだ。そう思いたい。だが、作品を創るには金が要る。できれば良い生活・楽な生活をしながら、金の心配をせずに創作活動に集中したいと思う、これももっともだと思う。最終的にどちらを取るか、これは著者にとって難しい選択だと思う。

 

さて、この提案である。著者である自分のファンも含まれるであろう、パソコンのユーザーやハードディスクの購入者に、「嫌だ」と思われるようなことは著者としてはしたくない、第一、そんなことをしたら自分の作品を買ってくれなくなるかも知れない。だからと言って、著者の立場でこの案には反対しにくい。こんな葛藤を著者がすると、JASRACは知っていて、それでもこの案を提出するのだ。JASRACは著者に対して、自分たちのファンが反対する立場に追い込む。これが彼らのずるさだ。

 

出荷台数をカウントし、売価か卸値あたりに一律に費用を賦課することはそう面倒でもない。仕組みさえできれば、カラオケの印税のようにあとは自動的に収入になる。そういう楽なビジネスに著者を巻き込み、それでいて味方の振りをする。

 

PCのユーザーらがこの案に反対するのは、もちろんそれだけ単価が高くなることに反対するのだが、同時に、こうしたJASRACのやり口に嫌悪感を感じるのだ。著者とファンの間に入って、ジャラジャラと金を音をさせるような嫌悪感を彼らはさせるのだ。「著作権」は本来、文化の発展に寄与するために考えられた権利のはずだ。それを、著者にも作品にも、ましてやファンになど興味のかけらもない第三者が金のために利用する強欲と狡猾、これがこの案に対する嫌悪感だ。